英語の諺


『ゼロから1年で英検1級/TOEIC950…可能』
『1年で偏差値30→70…可能』
学校英語を鍛え+実用英語に高められるのは英語道場だけ
【指導の合理性なら随一=予備校の名物講師も『並』に見える独自のノウハウ】=英語道場メソッド
日本初(おそらく世界でも初めて)! 
英語の完全図解ができるのは英語道場だけ。

ご父兄向け英語道場Journalに
1999年から連載した『英語のことわざ』です


“Time flies like an arrow.”
『時は 飛ぶ 矢のように=光陰矢の如し』

 月日がたつのは本当に早いですね。この時期、新しい高校生、大学生を送り出すと同時に、ついこの前大学に入ったと思っていた生徒が、卒業の挨拶に来てくれます。彼らはもう社会人です。きっと良い人生を送ってくれるでしょう。
 さて、今日のことわざのポイントは“like”。これは、同じつづりの動詞『~が好きである・気に入っている』と間違えやすいですが、ここでは“ in, on, at, for ~ ”と同じように前置詞で『~のように・な』という意味です。例えば“eat like a horse”は『馬のように食う』です。
また、“fly (flies)”は動詞では『飛ぶ・飛ばす』ですが、名詞では『羽虫・ハエ』の意味です。“butterfly=蝶・水泳のバタフライ”や“firefly=蛍”などはよく知られていますね。

 2年半、月刊タウン誌Joy2と並行して連載してきました『ひとくち英会話とこぼれ話』は前回で終了させていただき、今回からは『今月のことわざ』を連載することにしました。毎月、なるべくその時にふさわしそうな英語のことわざを簡単なコメントとともに紹介して行くつもりです。どうぞお楽しみに!





“Practice makes perfect.”
『習うより慣れろ』

 外国語、ことに英語の学習ではよく引用されることわざです。直訳は『実際にやってみることで完璧になる』というような意味です。よく『プラクティス=練習』と思われますが、“practice”の本来の意味は直訳で示しているように、むしろ『実際にやってみる』ことです。
 さて、ここで私的見解を述べますが、『習うより慣れろ』だけでは外国語は(少なくともきちんとした外国語)は絶対に習得できません。一般にかなりの誤解があると思われますので、ここははっきりとしておく必要がありますが、基本的な学習をおろそかにして外国で1年や2年暮らしても、その地でよほど厳しく学習しない限り、決してちゃんとした外国語にはなりません。英語を話せない人から見れば、帰国後外人とペラペラしゃべるのを見て『英語ができるようになった』と写るでしょうが、実は『雑な英語』しかできない人が多く、そういう人はきちんとした文を話したり書いたりできません。
 それで満足ならばそれでもいいのですが、就職試験などの『強み』には絶対にならないことを知っておく必要があるでしょう。なぜなら、『きちんとした文が書けないこと=信用を失うこと』ですから、企業は安心して雇用することはできませんね。
 そこで、外国語の学習に関してはこのことわざは訂正しておく必要が
あります。つまり…

外国語は『習って慣れろ』

 今後、外国語を習得のために留学を考えている人があれば、このことはしっかり肝に銘じておいて下さい。もし留学するなら、その前に徹底的に基本を鍛えておくことです。そうすれば“Practice makes perfect.”
を保証します。





“Birds of a feather flock together.”
『類は友を呼ぶ』

 ここで“a feather”というのは『1種類の羽=同じ羽=同類』を表します。『同じ種類の羽の鳥は集める』という意味です。このことわざ自体には特に批判的な意味はありません。
 しかし最近の若い人の生態を見ていると、全体として『群れる』傾向が強くなっています。そして『群』からはじかれた人も、決して独立独歩の気概があるわけではなく、入りたくても入れないだけの場合が多いようです。
結果として彼らの好奇心の対象は非常に狭く、話題がとても貧弱です。残念ながらこのことは英語の学習をとても阻害しているのです。なぜなら、自分の関心のないような事を『英語で何というか』なんて考えるはずがないし、覚える気になれるはずがありません。

若者達よ、群れるな。 みっともないゾ!
自分の足で立って自分の目で世界を見ろ!

 そうすれば自然に英語を勉強したくなるってもの。…つい、説教臭くなってしまいましたが、ひどく痛感していることです。




“Necessity is the mother of invention.”
『必要は発明の母』

◆現代の不幸◆

 人間も含めて全ての高等動物は、自分の持っている能力を夢中になって最大限に発揮しているときが一番充実感があり幸せな顔をしていると思いませんか。
 では人間の持っている能力はといえば、言うまでもなく格段に高い知性であり創造性だと思います。ところが現代のようにあまりにも高度化し専門化した技術で作られた製品があふれていると、素人の手を出す余地は全くありません。子供のおもちゃを見ていても、あまりにも完成され過ぎていて、工夫や想像力を発揮できるすき間がほとんどないように思います。これは実は人間にとってはとても不幸なことではないかと思います。
 サン・テグジュペリ(星の王子さまの著者)がある作品の中で述べていましたが、完成された芸術は「これ以上付け足すものがないのではなく、これ以上取り去ることができない」ものだという意見に強く共感を覚えます。人間生活においても全く同様、何もないような質素な生活の中にこそ知性や創造性を発揮する場があふれ、人間が幸福に活きられる余地が出来るのではないかという気がしてなりません。
 ちょっとした工夫がうまくいったときの喜びを、子供だけでなく我々大人も思い出したいものです。上のことわざは次のように修正して現代人に適用しましょう。

“Necessity is the mother of invention and happiness.”
「必要は発明の母であり、幸福の母である」

いつも説教臭くてすみません。





“You can take the horse to the water, but you cannot make it drink.”
『馬を水飲み場へ連れていくことはできるが飲ませることはできない』

 今月のことわざは、もともとは「行動は強制できても、心の中の意欲は強制できない」という意味ですが、今月号でこれを先頭に持ってきたのは、このことわざが英語の学習の一番大切なところを言い当てているからです。説明しましょう。

(1)英語が使えるようにならない人
ここで『馬』にたとえられているのは『英語を学んでいる人』です。馬を水飲み場に連れていこうとするのは『指導者』です。
指導者は何とかして馬に水飲み場へ連れていこうとします、つまり英語を教えようとします。ところが馬は水を飲みたい気分ではありません。こんな時、何時間やっても英語は全く身に付くことはありません。
学校で言われたことをやり、単語や熟語を覚え、文を暗記しテストでまずまずの点を取って喜ぶ…これは全く英語の勉強ではありません。無理やり水飲み場に連れて行かれているだけです。

(2)英語が使えるようになる人
馬は水が飲みたいなら、引っ張って行かれなくても勝手に自分で行って飲みます。英語の勉強も全く同じ。「この表現を覚えたい。こんなことを言えるようになりたい。だから今練習している表現をしっかり覚えておこう。そして忘れないように、すぐ言えるように何回も何回も練習しておこう。」という気持ち、つまり自分から「水が飲みたい」という気持ちを持つことです。




“Haste makes Waste.”
『急がば回れ』

 直訳は「急ぎはムダを作り出す」という意味です。日本のことわざは、俳句や短歌と同じように「5・7」の音節でリズムを作ることが多いですが、英語のことわざでは詩と同じように母音で「韻」を踏むことが好まれます。ここでは「heist meiks weist (発音記号です)ヘイスト メイクス ウェイスト」
というように3つの単語全てに「エイ」の母音をつかい、しかも「haste, wast」で「エイスト」という音をそろえてインパクトを強めています。




“A rolling stone gathers no moss.”
『転石に苔むさず』

 直訳は『(川の中で)転がっていく石には苔が生えない』という意味で、もともとは『職業を転々と変わっていては裕福になれない』という実利的なことわざでしたが、近頃では『同じところにとどまっていると、垢(アカ)にまみれる』という意味でも使われるようです。昨今のリストラの嵐や就職難を考えると、『転職』に対する社会全体の考え方はすっかり変わってしまい、「一旦就職すればあとは安泰」というのはすでに過去のことになりました。一方で、あいかわらず後を絶たない『役人の癒着』を見れば、後者の意味の方もなかなかの現実感があります。
 求人難、リストラと、どうも若い人が夢を持ちにくい世の中になってきましたが、若い人たちを指導している我々としては、『前途洋々』という言葉を気持ちよく使えるようにしたいと思います。そのためにもぜひ英語というスキルを身につけて、世界に目を向ける若者に育っていってもらいたいものです。これからはスキルを身につけながら、どんどん自分を売り込んでいかないといけない時代になりそうで、英語を手始めに、『転がりながらどんどん苔をつけて』いってもらいたいものです。




“Strike the iron while it is hot.”
『鉄は熱いうちに打て』

 あいかわらず説教クサイことわざですが、ことわざなんてモノはだいたいが説教クサイものですから、辛抱願います。これはまさに読んで字のごとくで、なにも説明はいらないでしょう。
 当英語道場は指導者全員が気性が優しいので、つい甘くなってしまいがちですが、結局はそれではタメにならないと判断して、スタッフにももっと厳しく接するように指導していますが、なかなか…。しかし、やはり本当に愛情をもって指導すれば厳しさはむしろ喜んでくれるハズですから、今年はビシビシと『鉄を熱いうちに打つ』つもりです。





“It's no use crying over spilt milk.”
『覆水盆に返らず』

 同じような内容の日本のことわざ『覆水盆に返らず』、つまり、「済んでしまったことはなんともならない」というのは、ちょっと冷たい言いぐさで個人的にはあまり好きではありませんが、英語の方の直訳は「こぼれてしまったミルクのことで泣いてもはじまらない」で、解釈の仕方によっては「済んだことは仕方がないジャン」、つまり「やらかした失敗はくよくよしない→次があるよ、次が」というような、やや異なったニュアンスを感じます。
 “It's no use ~ing.”は、一種の定型表現ですから、この“~”のところにいろいろな動詞を入れれば「~してもムダだ」という表現をすることが出来ます。例えば…

“It's no use trying to beat me.”「僕に勝とうとしてもムダだよ」




“Where there's a will, there's a way.”
精神一到何事か成らざらん

 日本語でいうとやたらに説教臭くなりますが、要は「意志があるところには方法がある」という意味です。意志の弱い身としては、少々負い目を感じるようなことわざですが、英語の方がやや「励まし」を含んでいるような気がしますね。
 新しい学年を迎えて、新年の時と同様に色々と計画を練る人がいると思いますが、やり通すことはなかなか大変です。ただ、英語に関していえば次の2点を守れば必ず使えるようになります。
1.やり方を守る
2.やり続ける
現地では子供でも話す英語がそんなに難しいはずはありません。要は簡単な表現でもいいからたくさんの英語に接することです。




“Spare the rod and spoil the child.”
むちを惜しむと子供をダメにする

 直訳は「棒(で叩くこと)を惜しむのは子供を台無しにすること」です。
 これでは体罰容認派と受け取られませんが、この言葉の本質はもちろん「子供のうちに厳しいしつけをしておけ→それによって将来社会で生き延びる力がつく」というものです。「愛情に基づく厳しさ」であることはいうまでもありませんね。英語道場でも、左にも書いたようにこの方針を今後徹底して行こうと思います。





“Actions speak louder than words.” 
言葉よりも行動

 文字通りは『行動は言葉よりも大きな声で話す』です。この時期、「~までに・・をやる」という威勢のいい生徒の言葉はよく耳にしますが、ぜひとも実行してください。もっとも、こちらも偉そうなことは言えませんが。




“Never put off till tomorrow what you can do today.”
「今日できる事を明日まで延ばすな。」

 8月も下旬になって「夏休みもあと○日かァ…」と思ったときに、ふと迫ってくる現実が『山』のようにたまった宿題。そんなときに自分に言い聞かせるのがこのことわざです。 put off は『離れたところにおく』という意味から『延期する・先延ばしにする』や『(電気器具などの電源を)offにする』という意味になります。

 さて、「今日やることをきちんと今日やれるような性格ならもっと出世していたかもしれないなァ。」と将来『仮定法』で後悔することになる君たちに、救いになるようなことわざを1つ。ちなみに英語で落ちこぼれてしまって英語道場に入門してきた人への励ましの言葉は常にこれです。



“Better late than never.”
「遅れてもしないよりはマシ。」

 人は基本的には『ぐうたら』ではないかと思いますが、そんな人へのありがたいエールですね。英語道場でもよく言われることですが、『他の人と比べたって意味がない。今から始めたって遅すぎることなんてないよ。』
というのは、とても大事な考え方だと思います。 大切なことは、この2つのポリシーを上手に使い分けることでしょう。ただし使い分けると言っても、他人には『今日やるべきことを明日に延ばすな』と言いながら、自分のことは『遅れたってやらないよりはマシ』と開き直って使い分けてはいけません。こういう大人って結構いるものですが。

 そしてもう1つ、遊びほうけている人が言い訳に使えそうなことわざを教えましょう。ただし、悪用してはいけませんよ。

“All work and no play makes Jack a dull boy.”
「勉強ばかりで遊ばないとつまらない人間になる=よく学びよく遊べ。」



“A drowning man will catch at a straw.”
「溺れる者藁をもつかむ」

 英語で溺れてアップアップしている人→『まだ、なんとか間に合う!』
気合いさえ用意してくれたら今からでもまだ受験にはなんとか間に合います。
 必死で『ワラ=英語道場の指導』をつかんでください。このワラに必死でつかまっていてそれでも溺れた人は、今までに一人もいません。


“Make haste slowly.” 
「急がば回れ」

 文字通りは『ゆっくり急げ』です。2002年12月号に書いた同じようなことわざ“Haste makes waste.[heist meiks weist] 『急がば回れ』
=直訳は「急ぎはムダを作り出す」”とよく似ていますが、ここでは“make haste=急ぐ”という熟語を使っています。「ゆっくり急げ」なんて言いぐさは考えてみればずいぶん無責任な言い方ですが、ことわざなどというモノは大体がこんなモノかも知れませんね。占いと同じであまり真剣に受け止めないで、都合のいいときだけ利用すればいいのでしょう。
 左にも書きましたが、この時期以降は受験生もだんだん焦ってきます。しかし実力のない人ほど、「焦らないで基本を大切にすること」です。

“After a storm comes a calm..” 
「雨降って地固まる」

 文字通りは『嵐のあとに静けさが来る』です。“comes”の主語は後の“the calm”で、“Here comes the bus.=ほら、バスが来たよ”と同じ構造です。



“All is well that ends well.” 
終わりよければすべてよし

 そのまま、『好結果は全てを正当化する』という意味でとらえれば、必ずしも賛成できませんが、『好結果の土台にはしっかりしたプロセスがある』という意味まで含んでいると考えれば、これも1つの真理でしょう。
 英文解釈から言えば、この“that”は関係代名詞で、先行詞は“all”です。
このように、語呂の関係で関係文が先行詞と離れることがあり、これを見抜くのも『修行』の1つですね。例えば次の文でも…

   The day will come when we can travel to the moon.

『修行』が足りない人は、“when~”を副詞節の接続詞と考えて「私たちが月に旅行できるときに、その日は来るだろう。」なんて、解釈して平気な顔をしていますが、そういう人はたいていが「その日」の「その」という指示語が何を意味しているかにはまるで無頓着です。
 “the day”の“the”が指示している具体的な内容は何かと考えば、“when~”に具体的な説明があるわけで、“when~”は“the day”を先行詞とする関係文で、「私たちが月に旅行できる→そういう日」の“the”です。
 さて、2003年もあと1ヶ月を残すだけとなりました。『終わりよければ全てよし』と言えるよう、あと一月で最後の仕上げと行きたいものです。


2004年


“Never put off till tomorrow what you can do today.” 
今日できる事を明日まで延ばすな

 日々のことをきちんと処理することの大切さを説いた有名なことわざで、“what you can do today”は関係代名詞“what”の好例です。この“what”は覚えると非常に便利な言葉で、是非とも使い慣れておきたいものの1つです。
 ところで有名なものにはパロディーが付き物で、これにも次のようなパロディーがあります。個人的にはこちらの方が自分の性にあっているのですが、みなさんはいかがですか?

“Never do today what you can do tomorrow.”
明日できることを今日やるな



“Don't count your chickens before they are hatched.”
「取らぬ狸の皮算用」

 文字通りは『卵がかえる前にひよこの数をするな』で、確実になるまでは数を楽観的に予測するなという意味です。
なかなか耳の痛いことわざでして、英語を指導する場合も、『これだけのことをやって来たのだから次のテストはみんなきっと…』
と期待しながら、フタを開けて愕然…。何度も絶句をしたことがありました。
 みなさん人生を楽しませてくれてありがとう。でも、『雑記帳』だけは最後までやって欲しい…なァ。



“Make hay while the sun shines.”
好機逃すべからず

意味は『日が照っているうちに干し草を作れ』。日本語でいえば『鬼の居ぬ間に洗濯』といったところでしょうか。要はチャンスを逃すなということです。コラムでも述べたとおり、今月は心機一転、巻き返しのチャンスです。ただし、ここで結果を焦ってはいけません。それはもう少し先のお楽しみにして、今は『雑記帳』継続の自己記録を一日ずつ更新していきましょう。



“Penny wise, pound foolish.”
一文惜しみの百知らず

前置き「もうアッタマに来たから今日はセッキョウするぞ~!」

文字通りは「1ペニー(約2円弱)をけちけちするくせに、1ポンド(約200円弱)の損失には気がつかない」というもので、「安物買いの銭失い」と共通する部分もあります。
 これはもう少し視点を変えて言えば、何度指導しても面倒くさがって雑な勉強をしてテストが終わればすぐに内容を忘れ、受験が近づくと結局また同じ事をやるハメになるのと共通する「愚かさ」です。
 「面倒くさいから手抜きをする→もっと面倒くさいことになる(気がつかない)」という全くアホなことをやっている人は道場生の中でもゴロゴロ。←のGW特別講習1.もまさにこういう「アホ」用で、その「馬鹿の壁」を突き破る手伝いを、せっかくの「間(コラム参照)」をツブして無料出血大サービスでやるのだから、いい加減なことをやったら次から月謝10倍!
誰のせいだ~!




“After a storm comes a calm.”
雨降って地固まる

 文字通りは「嵐のあとには静けさが来る」で、日本語の方の諺とは少しニュアンスが違う気がします。calmは[k≫Rm]カームと読みます。身近なところでは『聖夜』の歌詞で‘Silent night, holy night. All is calm, all is bright.’『静かな夜、神聖な夜。全ては静寂で、全てが輝いている。』のように形容詞で使われることが多い単語です。
 また、動詞としては「静める・静まる」というような意味合いで、よく使うのは‘Calm down.’『落ち着きなさい』ですが、ボズ・スキャッグズの歌『We're All Aloneウィアー・オール・アローン』の中では、‘Close the window, calm the light.’ 『窓を閉じて照明を落として』というように『(明かるさ)を落とす』という意味で使っていました。 さて、『雨降って地固まる』ですが、人生の嵐の真っ直中で必死でもがいている人や、他人とのトラブルの中で苦しんでいる人に‘After a storm comes a calm.’なんて言ったら「人ごとだと思って気楽なことを言わないでくれ!」なんてよけいにおこらせてしまいそうですし、かといって『嵐』が去った後に‘After a storm comes a calm.’なんて言ったところで「そんなことは当たり前だ。」と言われそうで、どちらにしてもあまり御利益のある諺ではなさそうですね。


“Out of sight, our of mind.”
『去る者日々に疎し』
.
 文字通りの訳は『姿を見せなければ忘れられる』といったところです。よ

くサボる人、忘れられてしまうぞ。道場で見捨てられたら行くところは…




“Time and tide wait for no man.”
『歳月人を待たず』

  timeはおわかりですね。tideは潮の干満を意味します。manは男の人を表しているわけではなく、一般的に人を表します。全体で年月は人の都合にかかわりなく、刻々と過ぎていき、少しもとどまらない。という意味です。ちなみにtimeとtide (タイムとタイド)は同じ母音で韻を踏んでいます。
  いろいろ言い訳を言っても時は待ってくれません。夏休み終了後に「良くやった」と思えるように取り組みましょう。



The pen is mightier than the sword.”
『ペンは剣より強し』

 すぐに軍隊を派遣したがる、ニホンザルに似た顔の、どう見ても知性的には見えないどこかの大国の大統領に100回復唱させたいことわざです(ニホンザルに申し訳ないかな?)。“the pen”とは言論を象徴し“the sord ソードと発音します”は武力を象徴しています。“mightier”は“mighty”の比較級で『力強い』という意味です。



“Nothing ventured nothing gained.”
『虎穴に入らずんば虎児を得ず』

  完全な文ではありませんが、文字通り訳せば『(危険な)挑戦が無ければ何も得られない』です。“venture”は近頃はやりの言葉『ベンチャービジネス』でも使われている単語で、名詞なら『冒険』、動詞なら『~を危険にさらす・賭ける』という意味です。見てのとおりで“adventure=冒険・アドベンチャー”とは兄弟語になります。



“A bad workman always blames his tools.”
『弘法筆を選ばず』

 文字通り訳せば『下手な職人はいつも道具のせいにする』で、ちょうど『弘法は筆を選ばず』の裏側の意味になりますね。これは発展的にとれば、『成果が上がらないのは部下のせい』と言う営業部長、『試合に勝てないのは選手のせい』という部活の顧問、そして…『英語が伸びないのは生徒のせい』という某英語道場の道場長…と同じ事かも知れませんね。
ハイ、気を付けますです。(某道場長)



“A contented mind is a perpetual feast.”
『満足している心は、永久の祝宴』

 永久の宴とは『幸福な人生』の比喩です。言い換えれば『幸福とは足を知るところにあり』と言ったところでしょうか。今の日本を見ていますと、世界でも有数の豊かな国のはずなのに、人間がどんどん浅ましくなっていくように思わますが、イラクで『正義面』をしている傲慢な国と比べれば、まだマシなのでしょうかねェ。
 目を転じて己のことで考えても耳の痛い諺と言えます。しかし指導するという立場では低い次元での満足は『妥協』であり、妥協はキリスト教で言えば『悪魔との契約』ですから、やはり安易な満足は出来ません。プロセスでは妥協せずやるべき事をやり、結果はいかなるものであれ甘んじて受け入れるという解釈ですすめようと思いますが、皆さんのご意見は?

2005年


“Failure teaches success.”
『失敗は成功を養う=失敗は成功のもと』

  この時期、人生に失敗したような顔をよく見ます。もちろん入試で失敗し
た生徒達です。気持ちはよく分かりますが、失敗の中にこそ『人生の宝』が詰まっていますよ。取り返しの付かない失敗と、十分挽回のチャンスのある失敗を明確に区別して、大学入試は後者であることを思い出して、勇気を持って立ち上がって下さい。我々は君たちの努力を認めています。


“A still tongue makes a wise head.”
『静かな舌は頭を良くする』

  静かな舌というのは、静かに人の話に耳を傾けることを意味しています。諺の意味するところは『自分で話すより、他者の話に静かに耳を傾けることで、人は賢明になる』ということです。
 以前、知人の東大教授が、『結局、東大あたりへ来る学生の強みは、早いうちから自分のスタイルを確立してきたということに尽きる』と話していました。少々格闘しながらでもじっくりと難しい本を読んで知的忍耐力を養い、人生の先輩の話を静かに聞きながら自分の思考能力を磨いていくことは、自分自身を確立するとても良い手助けとなります。
 進学という『目先の利益』を考えても、宿題の山、休む間もない補習、『根性!根性!』だけの部活などは、かえって若い人の潜在力を奪ってしまいます。『静かな舌は頭を良くする』方式の方が、はるかに学習の本質にもかなっているはずで、そう考えると今の高校生は気の毒な気がします。


“There's none so blind as those that will not see.”
『見ようとしない人が一番の盲目』 

 文字通り訳せば『見ようとしない人達ほど目の見えない人はいない』です。中学の時に校長先生が朝礼で「心ここにあらざれば、見るもの見えず、聞くもの聞こえず」と述べられたことがありました。なぜかそれを良く覚えていますが、この英語の諺はまさにその事を言っています。
 学習においてもこの言葉は全くの真理です。『やらされている学習』が面白くないのは、実は『やらされている』と思っている自分が、勉強している対象をつまらなくしていることが多く、それに気づけばいろいろな発見が出来るようになって勉強が面白くなってくるものです。『つまらない』と言って批判しているとき、実は自分自身が『つまらない人間』である可能性が高いのですよ、みなさん。



“An attempt is sometimes easier than expected.”
『案ずるより産むは易し』 

 直訳は『試みは予期したよりも容易なことがあるものだ』です。近いところは『案ずるより産むは易し』でしょう。何かに挑戦する時、失敗というのは恐ろしいものです。しかし一方で、あまり失敗ばかりしていると『失敗慣れ』という一種の惰性にも陥ってしまいます。とは言うものの、高校生や大学生の若い人にはやはりいろんなことに挑戦してもらいたいものです。受験も1つの挑戦ですが、他にも沢山の挑戦があります。1つのものに向かって真剣に取り組んでいる人の表情はとても魅力のあるものです。そんな魅力を道場生のみんなに身につけて欲しいものです。



“All things are difficult before they are easy.”
『最初は何事も難しい・ 習うより慣れろ』 

 直訳は『全てのことは、簡単になる前は難しい』です。なんて当たり前のことを言うんだろうと思えますが、諺とは「当たり前のことをやれ」というものかも知れませんね。スポーツでも勉強でも壁を乗り越えるまではなかなか大変ですが、それを越えてみると「なんであんな事に苦労していたのだろう?」と思うこともよくあります。こういう経験が自信につながり、それがまた次への挑戦につながって行きます。人生は一度ですから、いろんなことに挑戦してみましょう。



“A wise man is never less alone than when alone”
『賢者は一人でいても、孤独にはならない』

 省略がある上に否定表現に‘less’が付いているので分かりにくい諺ですが、もう少しわかりやすくすると次のようになります。『賢者というのは、一人でいるときよりも他の人といる時の方が孤独にならない(より孤独でなくなる)ことは決してない』、つまりは『一人でいることで一層孤独になることはない』ということです。このように分かりにくい場合は、less alone を反対から述べてmore at ease『より安心』かなにかを入れればわかりやすくなります。これはなかなか意味深長な諺ですが、孤独については下のコラムで書きますからここでは深入りするのを控えます。



“Habit is second nature.”
『習慣は第二の天性』

 「習慣になるまで続ければ天性と同じ様な能力になる」という意味でしょう。学習をする場合でも同じことが言えます。本当に優秀な人は自分で方法論を確立していきます。これは天性でしょう。しかしそれほど優秀ではなくても、優れた人のやり方を最初は模倣しながらやがてはその真意を捉えて自分の方法論としていく人達もいます。ただ、それをやろうとする謙虚さもまた天性と言えるのかも知れませんが…。『バカの壁』とはこのことかなァ。



“Fortune knocks at least once at every man's gate.”
『幸運は少なくとも一度は誰の門も叩く』

 訳を見てもらえば分かるように、英文としては特に注目するほどの表現はありません。しかしこの諺の意味するところはとても大きいのではないでしょうか。もちろん世の中には本当に不運な人もいるのでしょう。例えば1940年代前半であれば、ユダヤ人でドイツやポーランドに住んでいるというだけで殺されてしまうというようなこともありました。あるいはたまたま歩いていたところへ車が突っ込んでくるというような不運な人もよくあります。しかし、やはり一般的には『幸運は誰の所にも来るが、それをつかまえて大切にしない』人が多いのでしょう。




“All things are easy that are done willingly.”
『進んでやることは何でも簡単である= 好きこそ物の上手なれ』

 同じ勉強も楽しんでやるのと嫌々やるのでは効率が大違い。勉強の楽しさを教えるのは指導者の仕事です、生徒の目が輝いているとこちらも幸せになります。一方、中には全く無関心、無感動、あるいはどうしようもないグウタラな人もいます。こういう人には何を言っても無駄で、本人が自覚するまで待つしかありません。